kanachigaya

Welcome to Kanata's novels

パワー不足ですみません…

HPにお越し下さり、ありがとうございます。

更新がまた不定期になってしまい、すみません。
ちょっと色々とパワー不足になってしまいまして…。
更新出来る作品はパワーが必要なために書いても満足がいかず、今日もその負のループに陥り、何を書いても同じに思えてきたので、すみませんが今日も更新お休みさせて下さい…。
スランプとかではないので、とりあえず寝てパワーを戻すとか、既存のものを見直したり、ちろっとSS書き始めたりとかしています。新作を閃いてみたり!
静かなものは書けそうなんですが、とにかく元気がない文章なので、早く戻りたいと思います。

どんなに流麗な文を書けても、感情がない文というのは、私にとっては納得がいかないもので。
キャラ達の喜怒哀楽が硝子箱に閉じ込められているような目線になった時は、後で読み返してもまるで感情が伝わらないというか。
私が目指す物語は、読んで頂ける方々に少しでも頑張ろうと思って頂けるものなので、パワーがないのは辛いものであります…。

文章は勿論うまくなりたくて仕方がないですが、感情を率直に表現することも模索しています。
私は昔から本当に感想文も作文も大嫌いで、夏休みとかの宿題は前日に泣きながら書いていました。
本を読んでもなにかを書くということはまるで考えられなかった学生時代、物語を始めた書き始めたのは難病やらいじめやら諸々の不幸の底を手で叩いていた時の小論文の模試で、
自分の苦しみの体験談を書いたら、早慶を軽く超すような全国トップクラスの偏差値を貰って。
私の苦しみが認められたと誤認した瞬間で、ちょっとした優越感を味わっていました(笑)
ちょうどその頃、感想文のコンクールとかに入賞していたから、それでいい気になって、自分の不幸語りを以降の小論文模試で書きました(笑)
人生の中で一番の高偏差値で(小論以外の成績はよくない)、小論で受けたら「東大も入れる!」と自惚れる自惚れる(笑)

そうしたら、ある時添削でこっぴどく書かれ、天狗のお鼻をぽきっと折られたんですね。
「世の中には苦しいものも苦しいと言わずに、ひとりで輝く『孤高』というひとがいる。それが見られずに不幸に酔っているのが残念だ」
私の苦しみの数値は、今までの半分以下でした。

自分は不幸の先の心のあり方を書いたつもりだったのに、不幸に酔っている残念な奴と思われたと、それはショックで。
今思えば、自惚れが文章から滲み出ていたのかと。
想いを込めるのはいいとしても、書き方や伝え方を間違えば、逆に自分の生き方も否定されてしまう。
同時に苦しいものを苦しいと言わないことを美徳だという考えもあるのだと知りました。
それって本当に苦しいひとにとってどうなの?と。

当時通っていた一方的な心療内科医に対しても思いました。
病気でしんどくて苦しいっていっているひとを観察してカルテに文章化して、オーソドックスな心理学の枠に当てはめて、心の病気だとか病気ではないとか判断するのはどうなの?と。
行っても、気軽に話したことすら病気判断にされるのなら言いたくないと、口も心も閉ざしました。
同情されたいわけではないけれど、自分はここにいるのに、違う世界の人間だと線を引いて接しないで欲しかった。
そこから生まれる孤独感は半端なかったです。心配してくれる家族が傍にいても。

反発心で苦しみに寄り添える臨床心理士になろうと勉強しましたけれど、諸々の事情で挫折して物語を書いて発散したようなものです。
心理士になりたかった動機が、書くことのベースです。
人生、どう転ぶかわかりません(笑)

確かに自分の苦しみは自分のもので、(倫理で習ったかと思いますが)なにかの代償や昇華で苦しみがなくなるわけではないです。
それでも読んで下さる方に、一瞬でも苦しみを忘れさせることは出来るかと思っています。
忘れた先に現実に返ったとしても、頑張ろうと思って頂けたらいいなあといつも思います。
それに私も苦しんだから物語を書いているわけで、物語を書くという行為は自分の苦しんだ過去の代償であり、昇華であり。
苦しみを書いている限りは傷は塞がらず、時にじくじく膿みますけれど、私は物語を通して私と同じように苦しむひとに、負けないで頑張れといいたいわけで。
私もあの苦しみから立ち直れたのだから、絶対夜は明けるのだと言いたいわけで。

やはりどうしても、物語に魂を込めてしまうのであります…。

色々読者さまから話を聞くと、私以上に本当にお辛い経験をなされている方ばかりで。
万人受けしない私の文章は、そういう方を呼んでしまうのかもしれません。

それでも皆さん、芯があります。
折れそうに見えて、折れないだけの強さがある。
それは凄いなあと思いますし、見習いたいところです。

私にとって書籍化はゴールではなく、もっとうまく皆さんの励ましになればいいなあと思えばこその手段で過程。
私もまだまだ修業の身で、どうすれば面白くて励みになる物語をかけるか、必死に模索しています。
今年は商業の方に出てしまいましたが、皆さんにとって「奏多先生」ではなく、いつまでも「奏多さん」でいたいと思っています。
いつまでも寄り添える書き手でいたいので、へっぽこですけれど、お気軽にお声をかけて頂ければ嬉しいです。

長々とすみませんでした。
こんな感じでパワーを注入したいので、ゲージが溜まったら速攻書きたいので、お待ち下さいませ。

アンケートにもご協力ありがとうございました。
残る1週間、どうぞよろしくお願いします。

奏多